都内最大級の山城
武田信玄をも退けた巨大城郭
東京にも山城が!
今日は都内とは思えない良好な遺構が残る滝山城を紹介したい。
滝山城は多摩川に面した「加住丘陵(滝山丘陵)」に築かれた丘山城だ。
標高は270mあるが、標高差がないためさほど険しくない。
平成29年(2017年)には続日本100名城に選定され、遺構も良好に残っている。
整備もされており見学しやすい城だ。令和3年(2021年)には築城500年を迎えた。
それでは武田信玄も退けた堅城・滝山城を御堪能あれ。
目次
①滝山城の縄張り
②城データ(所在地はこちら)
③みどころ
④おすすめ記事
・滝山城の縄張り
滝山城は大永元年(1521年)に大石定重が築いたとされる。
大石氏は関東に勢力を拡大してきた小田原北条氏に降伏し、その傘下に入った。
北条氏康の三男・氏照を養子に迎え、大石氏照時代にこの滝山城も大改修が行われた。
加住丘陵は東西に長く、北側は急峻な断崖、南は谷が入り組んだ複雑な地形になっており、この地形を生かし滝山城は築かれた。
特に二の丸には3つの尾根が集中し、それぞれの尾根に、角馬出・南馬出・東馬出を設け、鉄壁の防御を誇る。南馬出の先には大馬出があり、馬出を二重に配置する「重ね馬出」の構えになっている。また二の丸を囲む堀も深く幅20m、深さも10mはある。
この鉄壁の二の丸を通らなければ本丸へはたどり着けない。
実際に永禄12年(1569年)10月2日、甲斐の武田信玄が滝山城を攻撃。
信玄はこの鉄壁の二の丸を突破できずに退いている。
二の丸の先には中の丸があり、多摩川や八王子市街が見渡せる。
景観は素晴らしい。
中の丸の先は本丸となる。
中の丸と本丸の間には巨大な大堀切があり、幅30m、深さ15mはあろか。
現在でも圧巻の大堀切だが当時はもっと深かったという。
当然、この大堀切は渡れないため木橋がかけられていた。
現在は復元された固定式の橋が架かっているが、当時の木橋は戦闘時には本丸側に橋を引ける、「引き橋」となっていた。敵は橋がないため、大堀切を突破しなくてはならない。
攻め手は多くの犠牲を出すだろう。
さらに木橋の先には枡形の虎口があり、簡単に本丸に侵入できないよう厳重な守りだ。
天然の地形を生かし巧な縄張りで敵を撹乱する滝山城。
しかし、その広大さから守りにくいと判断した氏照は八王子城を築城し、滝山城は廃城となった。
現在は都立滝山公園として整備され、地元の人の協力で都内有数の桜のスポットとなっている。
城データ
城名:滝山城
築城者:大石定重
主要城主:大石氏、北条氏
主な遺構:土塁、堀、土橋、枡形虎口、馬出
所在地:東京都八王子市高月町
連絡先:042-620-5951(産業振興部観光課)
アクセス:八王子ICから約6km車で約15分
京王八王子駅・JR八王子駅北口から戸吹行き・秋川駅行き・
戸吹スポーツ公園入口行きバスで「滝山城址下」下車、徒歩約15分
無料駐車場有
指定文化財:国指定
続日本100名城
みどころ
巨大な土塁と堀
複雑な曲輪の配置
鉄壁を誇る二の丸
二重馬出し
復元木橋
満開に咲く桜
おすすめ記事