多気城

関東最大級の山城

宇都宮氏の拠点

 

関東最大級の山城、多気城を御存じであろうか。

おそらく相模・小田原城を除けば関東最大の城郭であろう。

標高377mの多気山に築かれ、頂上を本丸とし、南北約1.5km、東西約2km、総面積150ヘクタールに及ぶ城郭である。現在も曲輪、土塁、堀、虎口など良好な遺構を確認することができる。

本丸からの景色は最高で宇都宮市街から茨城方面まで一望でき、筑波山、富士山も確認することができる。

それでは関東最大級の山城・多気城を御堪能あれ。

多気城

 

目次

①多気城の歴史
②縄張りと遺構
③小田原征伐とその後
④城データ(所在地はこちら)
⑤みどころ
⑥おすすめ記事

 

・多気城の歴史

この城の築城者等、詳しいことは分かっておらず、康平6年(1063年)宇都宮氏の祖である藤原宗円が築城したと云われているが定かではない。

「宇都宮記」には天正4年(1576年)宇都宮氏22代当主・宇都宮国綱が2月3日に普請を始め23日間という短期間で完成させたとの記述があるが、23日間にてこの巨大城郭を築きあげるのは不可能と思われ、この以前より城郭はできていたと推測される。

多気城

多気城

 

 

このころ宇都宮氏は、南から小田原の北条氏が台頭し、北条氏に組みする皆川氏、壬生氏、北からは蘆名氏、那須氏、日光山僧兵からも侵略に晒されていた。

宇都宮氏は代々、宇都宮城を拠点としており、宇都宮城は平城の構えであった。

南北から度重なる攻勢を受けた宇都宮国綱はより強固な城を求め、山城の多気城に拠点を移すことを決断する。天正14年(1586年)ごろには移ったとされている。

多気城

天正14年~17年にかけて北条氏の攻撃を受け、これを撃退していることがわかっているが、多気城における詳しい攻防戦の記録はあまり残されていない。

これにより、本拠地である宇都宮まで敵の攻勢を受けており、敵を撃退していることから多気城の強固さをうかがうことができる。

多気城

多気城

多気城

 

 

・縄張りと遺構

多気山頂上は東西約109m、南北約54mの平坦な場所が広がっており、周囲を土塁で囲み、入り口には幾重にも虎口を配置されおり、厳重な守りがなされている。

当主・国綱はこの本丸に陣を敷き、指揮を執っていたことであろう。

多気城

多気城

多気城

本丸からは階段状に曲輪が6段配置され、土塁、竪堀、横堀で曲輪を囲み防御している。

中腹ではこれら曲輪に侵入されぬよう、総延長2㎞にわたる横堀を配置。

山麓にも横堀を配置し、2重の備えを敷いている。

多気城

多気城

これだけの巨大城郭を落とすのには攻め手も膨大な労力を必要とし、鉄壁と呼べる城である。

 

 

多気城

多気城

城の南側には現在でも「下河原」「粉河寺」「清願寺」「裏町」「扇町」「塙田」「源石町」など宇都宮城下と同じ地名が残っており、一時的な移転ではなく、城下町を含む恒久的な拠点の移転を考えていたことを物語っている。

 

 

多気城

多気城

・小田原討伐とその後

天正18年(1590年)には豊臣秀吉により小田原討伐が起こり、宇都宮氏はいち早く秀吉のもとに駆け付け、石田三成が指揮した忍城攻めに参加した。

その功により宇都宮18万石を安堵。

多気城によって宇都宮氏は度重なる敵の脅威を間逃れ、家名を保ったのである。

多気城

多気城

北条氏の脅威がなくなった国綱は、宇都宮城に拠点を戻し、多気城の役目は終わっている。

多気城

多気城

多気城

その後、国綱は積極的に豊臣政権に奉公し、文禄元年(1592年)の朝鮮出兵にも参加し、秀吉から「羽柴姓・豊臣姓」を名乗ることを許されている。朝廷からは侍従の官位を授かり豊臣大名として期待をされていた。

 

 

多気城

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しかし慶長2年(1597年)、宇都宮国綱は突如秀吉から怒りを買い宇都宮氏は改易となっている。

多気城

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改易には様々な説があるが、国綱には跡目がなく、豊臣五奉行の一人・浅野長政が三男、長重を養子に迎えようとした。しかし実弟の芳賀高武から強固な反対を受け、養子を主導した重臣・北条勝時、今泉高光を殺害してしまう。

これに激怒した浅野長政は、国綱が石高を偽り過少申告していたと秀吉に報告。

浅野長政は秀吉の姻戚にあたり、これを信じた秀吉は激怒し、改易になったと云う。

 

 

多気城

多気城

多気城

現在も多気城では良好な遺構が残され、当時の情景を堪能することができる。

多気城

多気城

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多気城

 

城データ

城名:多気城、御殿山

築城者:不明

主要城主:宇都宮氏

主な遺構:土塁、空堀、曲輪

所在地:栃木県宇都宮市田野町

駐車場:無料駐車場有

アクセス:宇都宮ICより約7km車で約15分

     JR宇都宮線 宇都宮駅よりバスで約45分

GoogleMap

 

みどころ

・土塁

・空堀

・食い違い虎口

・見事な眺望

 他

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1983年2月生まれ 戦国写真家

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