中世城郭
後北条氏・北関東最前線拠点
少し晴れ間が見えたので逆井城へ行ってきた。
大河ドラマなどの撮影でも使用されるほど、復元された二層櫓や土塀、筋交い橋などが忠実に再現されており、中世城郭の雰囲気が感じられる城だ。
現在も遺構は良好で、土塁、空堀、水堀、北条家特有の二重掘りや関宿城の移築門も確認することができる。
それでは中世城郭・逆井城をご堪能あれ。
目次
①逆井城の歴史
②縄張りと遺構
③城データ(所在地はこちら)
④みどころ
⑤おすすめ記事
・逆井城の歴史
この城は下野国祇園城主、小山常宗が逆井の地を収め、逆井氏と称したのが始まりだ。
時は戦国時代、天文5年(1536年)、関東支配を目論む北条氏康の命にて、大道寺盛昌が逆井城を攻撃。城主・逆井常繁は討ち死にし落城した(諸説あり)。
天正5年(1577年)、北条氏の北関東最前線拠点として北条氏繁により逆井城は大改修され、最新の後北条流築城術が詰め込まれた。現在もその技術を確認することができる。
・縄張りと遺構
東西420メートル、南北320メートル、東京ドーム約2.7倍の大きさを誇る城郭で、当時北側には飯沼と呼ばれる南北30kmに沼地が広がっていた。
自然の要害を活かした堅牢な城である。
飯沼の水を利用し城内まで水堀を導入、船着きばまで完備する画期的な城である。
現在は城址公園として、その広大な敷地を利用してグランドゴルフ場として市民の憩いの場となっている。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原討伐によ後北条氏没落に伴い廃城となった。
城データ
城名:逆井城、飯沼城
築城者:逆井常宗
主要城主:逆井氏、後北条氏
主な遺構:二重土塁、水堀、空堀、井戸、郭
所在地:茨城県坂東市逆井1262
連絡先:0297-20-8666(坂東市観光協会)
アクセス:境古河ICより車で約10分
無料駐車場有
指定文化財:茨城県指定史跡
みどころ
・大手口二層櫓(復元)
・筋交い橋(復元)
・土塀(復元)
・井楼櫓(復元)
・櫓門(復元)
・船着き場としても使用された水堀
・空堀
・二重土塁
・移築された関宿城門
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