久川城

最後まで伊達軍の猛攻を退けた城

南会津重要拠点

 

会津地方の南西部、南会津町の伊南川流域に位置する一帯は、古くは伊南郷と呼ばれていた。

伊南郷は尾瀬に源を発する清流・伊南川を中心に豊かな地域が広がり、越後を結ぶ越後会津街道、北関東を結ぶ沼田会津街道が通っており交通の要所でもあった。

奥州統一を目指す伊達政宗の侵攻に備え、河原田氏によって築かれた久川城。

西の風雲情勢を告げるまで、伊達軍の猛攻を防ぎ切った久川城の雄姿を御堪能あれ。

久川城

 

目次

①伊達軍の猛攻を退けた河原田氏
②久川城の縄張り
③摺上原の合戦後
④城データ(所在地はこちら)
⑤みどころ
⑥おすすめ記事

 

・伊達軍の猛攻を退けた河原田氏

河原田氏は下野国・藤原秀郷が後裔、小山政光が五男・盛光が河原田と称し、源頼朝からこの地を領したのが始まりとされている。

この河原田氏については、同じく藤原秀郷が後裔・結城氏を祖とする説もあり未だ詳しいことは分かっていない。

中世の会津は会津四家と呼ばれる蘆名氏、山内氏、長沼氏、そして河原田氏が割拠していた。

戦国期には黒川城の蘆名氏が台頭し、山内氏、長沼氏、河原田氏を支配下に置いている。

 




 

久川城

久川城

天正17年(1589年)河原田氏11代当主・河原田盛次は蘆名氏に従い、奥州の覇者を決める決戦、「摺上原の戦い」に参戦。

蘆名勢として檜原口の守りを固めるも本隊の蘆名勢は敗れ、当主・蘆名義広は常陸国に落ち延びた。

そのため盛次も南会津へと兵を引いている。

久川城

「摺上原の戦い」詳しくはこちら

会津若松城(戦国編)・上に続く

 



 

久川城

久川城

久川城

勝利した政宗は黒川城(後の会津若松城)を本拠地と定め、本格的に南会津攻略を開始する。

伊達軍の侵攻に備え居城としていた駒寄城では大軍に耐えられないと判断し、天然の要害を活かした久川城を急ぎ築城、拠点としている。

 




 

久川城

・久川城の縄張り

久川城は東に伊南川、西に滝倉川、北は久川が流れる四方を急崖に囲まれた、南北約565m、東西約250m、比高53mの丘陵上に築かれた天然の要害だ。

久川城

久川城

城の大手口である小塩七曲り登城口前、搦め手である北口の青柳七曲り登城口前には角馬出を配置。

久川城

久川城

久川城

本丸を中心に、二の丸、三の丸、南曲輪、北曲輪、と4つの曲輪を南北に配置した連郭式の縄張りで、それぞれの曲輪を空堀、堀切にて区画し、侵入口には枡形虎口を配置。

敵の侵入を防いでいる。

 



 

久川城

久川城

久川城

久川城

本丸を囲う土塁は見事で、堀と合わせ高さ10m以上はあろう。

この土塁によって敵からの侵入を防ぐと同時に上からの攻撃が可能となり、鉄壁の防御となる。

久川城

久川城

久川城

久川城

度重なる発掘調査によって本丸には大型の礎石が確認されており、天守が築かれていた事が分かっている。

 




 

久川城

久川城

久川城

久川城

二の丸には石垣の遺構もあり、厳重に守りを固めている。

久川城

久川城

久川城

・摺上原の合戦後

伊達軍の侵攻に対し、同じく南会津・鴫山城を拠点にしていた長沼氏は伊達軍に降った。

しかし河原田氏は最後の最後まで抵抗し、堅城・久川城よってついには伊達軍の猛攻を退けている。

久川城

久川城

河原田盛次は伊達氏に敵対する、常陸国の佐竹義宣、越後国の上杉景勝、京の豊臣秀吉と連携を取っており、盛次の元には、義宣から激励の書状が届き、石田三成からは小田原征伐まで城を強固にし守り抜くようとの書状も届いている。

 



 

久川城

久川城

そして天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐にてついに秀吉が天下を掌握する。

政宗は秀吉の命に従い小田原に参陣、秀吉に屈する。
伊達氏を警戒し、小田原に参陣しなかった盛次は奥羽仕置きにて伊南を没収されてしまった。

久川城

久川城

久川城

盛次は上杉景勝を頼り越後国へと落ち延び、その後は主君であった蘆名義広を頼り常陸国へ、関ヶ原合戦後は義広に従い出羽国角館へ、角館河原田氏の祖となった。

 




 

久川城

久川城

小田原征伐後は蒲生氏郷が会津90万石の領主となり、久川城は会津若松城の支城として蒲生氏によって整備され、現在の姿へと改修されたと思われる。

久川城

久川城

久川城

久川城

数々の遺構を残す久川城、昭和60年(1985年)には福島県史跡に指定され、当時の情景を今に伝えている。

 



 

久川城

久川城

 

城データ

城名:久川城、

築城者:河原田盛次

主要城主:河原田氏、蒲生氏、上杉氏

主な遺構:土塁、空堀、竪堀、枡形虎口、石垣

所在地:福島県南会津郡南会津町青柳

連絡先:0241-64-5711(伊南観光センター)

駐車場:有り(奥会津博物館伊南館前)

アクセス:東武鉄道・会津鬼怒川線「会津田島駅」より会津バス「青柳」下車 徒歩5分

     東北自動車道「那須塩原IC」より約90分

指定文化財:県指定

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みどころ

・高さ10mを超える土塁と空堀

・竪堀、土塁、石垣、曲輪跡

・枡形、虎口跡

 他

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1983年2月生まれ 戦国写真家

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