北信濃・最重要拠点
川中島の合戦で武田家本陣となった城
本日は別名・海津城と呼ばれていた松代城を御紹介したい。
海津城は永禄3年頃(1560年)武田信玄によって築城された。
信濃を手中に収めた信玄は、越後との国境にある川中島に北信濃の一大拠点として堅牢な城を築いた。対越後・上杉謙信の侵攻の備えとしてである。
縄張りは武田家軍師の山本勘助が行っており、丸馬出や三日月堀など甲州流築城術が随所に使用された堅固な城だ。
では、戦国の代表的な合戦、第四次川中島の合戦で武田本城ともなった松代城を御堪能あれ。
目次
①第四次川中島の合戦
②真田の城
③城データ(所在地はこちら)
④みどころ
⑤おすすめ記事
・第四次川中島の合戦
松代城は自然の地形を生かした堅城で、三方を山に囲まれ、千曲川を天然の水堀とした輪郭式の平城だ。日本100名城にも選定されている。
信濃北部に位置するここ川中島を巡って武田信玄と上杉謙信が5度、12年間に渡って戦いが繰り広げられた。
“甲斐の虎”と呼ばれた武田信玄と、“越後の龍”と呼ばれた上杉謙信が直接対決を行ったのである。第四次川中島の合戦だ。
先に動いたのは“越後の龍”であった。
1561年8月、謙信が1万8千の軍勢を率いて越後を出発。川中島に出陣した。
海津城初代城主は武田四天王の一人、高坂弾正昌信で、農民から武田重臣に上り詰めた名将だ。
高坂弾正は狼煙を使い甲斐の信玄へ素早く連絡。信玄は8月中旬に甲府を出発した。
先に川中島に着いた謙信は海津城には目もくれず、城南方の妻女山に布陣する。
遅れること8日後、信玄が海津城に入る。総勢2万の大軍だ。
こうして直線距離にて4kmで約2週間のにらみ合いが続いた。
先に仕掛けたのは信玄であった。
軍師・山本勘助の「啄木鳥戦法」を採用。
兵力を二手に分け、別機動隊1万2千を妻女山の背後より奇襲をしかけ、川中島の八幡原に降りてきた上杉軍を本隊8千にて挟撃をする。あたかも啄木鳥が獲物をおびき寄せるがごとくの作戦である。
夜半、高坂昌信率いる1万2千の別機動隊が妻女山へと進軍する。
信玄本隊も八幡原に布陣。
夜が明けた9月10日、その日は1m先も見えない濃い霧に覆われていた。
この日を選んだのも作戦のうちである。
徐々に霧が晴れてきたその時、信玄は虚を衝かれる。
妻女山から逃げてくるはずの謙信本隊が、八幡原に布陣をしているのである。
謙信はその戦の嗅覚より武田方の動きを察知、妻女山に1千の兵を残し下山。
八幡原に陣を敷いていたのである。
慌てて「鶴翼の陣」を敷く信玄に、謙信は新手が次々と現れて攻撃をする「車懸かりの陣」にて攻撃。第四次川中島の合戦の開始である。
不意を突かれたうえ兵力の差がある分、武田軍はじりじりと後退。
信玄の弟・武田典厩信繁、諸角豊後守、初鹿野源五郎、軍師・山本勘助ら名立たる武将が次々に討ち死にする。
ついに武田本陣まで危機が迫った。
その時、ようやく別機動隊が八幡原に到着。上杉軍の背後を突き、今度は武田軍が上杉軍を圧倒したのである。
状況不利とみた謙信は、突如単独で本陣まで突撃、ついに信玄に馬上から2回、3回と太刀をあびせたのである。
信玄は微動だにせず、軍配にてこれを受け止めたと云う 「龍虎一騎打ち」の伝説が残っている。
形勢は逆転し、上杉軍は撤退。
武田軍戦死者1万2130人。上杉軍戦死者1万2870人。
後世、戦の教科書ともなった大激戦であった。
その後、両軍が刃を交えることはなかった。
結果、信濃一国を手中に収めた信玄は京へと兵を進めていくこととなる。
・真田の城
武田家滅亡後は数々の城主が入れ代わり、元和8年(1622年)、武田家家臣でもあった真田信之が13万石にて入城。
現在の近世城郭へと生まれ変わり、名も松代と改名した。
以後250年間、十代藩主・真田幸民まで10万石の城下町として発展。
元治元年(1864年)に九代藩主・幸教が義母のために城外に建てた、新御殿真田邸は必見で、松代藩文武学校など数々の遺構が残っている。
現在は、三日月堀、本丸太鼓門、太鼓門前橋、北不明門、二の丸土塁、埋門なども復元され、本丸天守台の石垣も見ごたえがある。
是非、当時に思いをはせながら散策してみてはいかがであろうか。
城データ
城名:松代城、海津城
築城者:武田信玄
主要城主:武田氏、森氏、田丸氏、真田氏
主な遺構:土塁、空堀、水堀、天守台石垣
所在地:長野市松代町松代10
連絡先:026-278-2801(松代文化施設等管理事務所)
アクセス:長野ICから約2km 車5分
JR長野駅から松代行きバス約30分「松代駅」下車+徒歩5分
無料駐車場有
指定文化財:国指定
日本100名城
みどころ
・北信濃の一大拠点
・甲州流築城術を駆使した縄張り
・復元された本丸橋詰門、太鼓門、北不明門
・全国的にも珍しいトンネル状の埋門
・日本で唯一現存する外郭居館・真田邸
・真田十代続いた松代藩城下町
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